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韓国の歴史ドラマでよく登場する人物の紹介 - 朝鮮時代男性編

掲載 : 2017.7.18
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思悼世子(사도세자/サドセジャ)

ユ・アイン(유아인)とソン・ガンホ(송강호/宋康昊)が出演した「映画思悼(사도/サド)」では俳優ユ・アインが思悼世子を、ソン・ガンホが父の英祖(영조)王を演じました。(2015年韓国上映)
ユ・アイン(유아인)とソン・ガンホ(송강호/宋康昊)が出演した「映画思悼(사도/サド)」では俳優ユ・アインが思悼世子を、ソン・ガンホが父の英祖(영조)王を演じました。(2015年韓国上映)
韓国のMBCで放送したドラマ「群主(군주/クンジュ)」ではユ・スンホ(유승호/俞承豪)が思悼世子の役をしました。(2017年韓国放送)
韓国のMBCで放送したドラマ「群主(군주/クンジュ)」ではユ・スンホ(유승호/俞承豪)が思悼世子の役をしました。(2017年韓国放送)
名前は李愃(이선)で思悼世子(사도세자/サドセジャ)または荘献世子(장헌세자/チャンホンセジャ)と呼ばれています。韓国人は普通思悼世子(사도세자/サドセジャ)として覚えています。英祖(영조)の次男、正祖(정조)の父ですが、王にはなれなかった悲劇の男です。

英祖の長男が死んでから7年後、次男の思悼世子が生まれました。英祖は息子を大事にしながらも、王子に対しての高い期待値を持ちとても厳しい態度を見せました。母の身分が低かった英祖はもともと王の継承者ではなかったので、宮の外で生活しました。庶民の中で生活しながら、慎重で努力する姿勢を身に着けた英祖は、息子も同じ姿勢で頑張るよう要求しました。しかしそんな父の期待は息子の負担になり、成長しながら学問より武芸に興味を持つようになったことは、もっとも父の反感を買うことになりました。結局優れ過ぎた父の息子に生まれたことが原因で心の病気まで持つようになった思悼世子は人を殺したり、暴行するなど異常行動をするようになりました。耐えれなかった父の英祖は思悼世子を米櫃の中に閉じこめ、思悼世子は8日後に飢死しました。ドラマの中で思悼世子の息子の正祖が泣きながら父を生かすように祖父にお願いする場面はいつも視聴者を泣かしています。

思悼世子が精神病を持つようになったきっかけを中心に書きましたが、実は彼の死の裏にはもう一つの理由があります。政治的に思悼世子が王座に座ることを望まなかった老論派(朝鮮時代の政治派の1つ)が英祖に思悼世子のことを悪く告げ続けたのです。そういうことで思悼世子の死は闘争が生み出した悲劇だとも言われています。

鄭道伝(정도전/チョン・ドジョン)

KBSドラマ鄭道伝ではチョ・ジェヒョン(조재현/曺在鉉)が鄭道伝を演じました。
KBSドラマ鄭道伝ではチョ・ジェヒョン(조재현/曺在鉉)が鄭道伝を演じました。
高麗末期から朝鮮初期まで活動した政治家、道学者、革命家で字は宗之(종지/チョンジ)、号は三峰(삼봉/サンボン)です。

高い学食を持っていた彼は高麗の成均館(성균관/ソンギュングァン)で教官として儒学陸生に尽くしていましたが、彼を信頼していた王が死んだ後、政治的に反対派だった側が権力を持つことになりました。

急進改革派の盟主だった彼は、政争により流刑されてしまいました。この時期、彼は身近なとこで百姓の生活を目撃しながら、大きな影響を受けました。そして流刑地で王ではなく国民を中心になる彼の民本思想が始まり、朝鮮を立てようと決心したきっかけでした。

鄭道伝は腐敗した官僚から百姓を救える方法は革命しかないと思い、当時侵略してきた外敵をすべて討伐し高麗の英雄になっていた太祖(태조)・李成桂(이성계)を誘い、太祖・李成桂の参謀として活躍しました。その結果高麗は滅び、新しい国、朝鮮の時代が始まりました。

鄭道伝は本人の計画で朝鮮を建設した主張していました。彼の主張は太宗(태종)・李芳遠(이방원)の耳に入り、太宗と他の王子たちから反発を買いました。鄭道伝は世襲政治の問題点を指摘し、世襲政治により愚かな人が王の座に座ることだけは止めなきゃならないと主張しました。そしてまだ幼なかったが聡明な王子・李芳碩(이방석/イ・バンソク)を教育し、宰相が中心になる王道政治(宰相政治)を計画しましたが、權坐を失うことを恐れた太宗・李芳遠が鄭道伝と弟の李芳碩を殺害しました。
SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ミョンミン(김명민/金明民)が鄭道伝を演じました。(2015年韓国放送)
SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ミョンミン(김명민/金明民)が鄭道伝を演じました。(2015年韓国放送)
鄭道伝が建設した景福宮(경복궁/キョンボックン)(景福宮(경복궁/キョンボックン)/キョンボックン)の正門、光化門(광화문/クァンファムン)(光化門(광화문/クァンファムン)/クァンファムン)です。
鄭道伝が建設した景福宮(경복궁/キョンボックン)(景福宮(경복궁/キョンボックン)/キョンボックン)の正門、光化門(광화문/クァンファムン)(光化門(광화문/クァンファムン)/クァンファムン)です。
朝鮮建立後、朝鮮の統治規範を提示している「朝鮮経国典」を執筆しました。「朝鮮経国典」は後で作られた朝鮮最高法典「経国大典」の根幹になります。首都を移転し、景福宮(경복궁/キョンボックン)(景福宮(경복궁/キョンボックン)/キョンボックン)の設計・建設を計画して指揮したのも鄭道伝です。

鄭夢周(정몽주/チョン・モンジュ)

KBSドラマ「鄭道伝」ではイム・ホ(임호/林湖)が鄭夢周を演じました。
KBSドラマ「鄭道伝」ではイム・ホ(임호/林湖)が鄭夢周を演じました。
 SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ウイソン(김義城(의성/ウィソン))が鄭夢周を演じました。
 SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ウイソン(김義城(의성/ウィソン))が鄭夢周を演じました。
高麗末期から朝鮮初期まで活動した学者、政治家です。学問、外交、経済、軍事、政治の幅広い分野で活動した上、みんなから尊敬される人品を持っていました。学者として知られていますが、外敵の討伐にも活躍した文武両道の人です。

彼は文臣としても武臣として多い業績を残しましたが、彼を一言で表現する「高麗最高の忠臣」です。

太祖・李成桂が朝鮮の開国を計画し、ともに新しい国を建てようと鄭夢周を誘うよう太宗・李芳遠に命じました。その時に太宗「何如歌(하여가)」という詩で鄭夢周を誘い、鄭夢周は「丹心歌(단심가)」という詩で断りました。この2つの詩は韓国人にはとても有名で、学校で習い、試験にも頻繁に出てきます。

その後、鄭夢周が朝鮮開国に賛同しないことが分かった息子の太宗により善竹橋(선죽교/ソンジュクギョ)の上で殺されました。(善竹橋はまだ北朝鮮に残っています) 彼は高麗を裏切らず、死を選んだのです。

鄭夢周は単純な高麗の宰相ではなく、人徳と評判がとても高かった人物でした。太祖の側の人にも鄭道伝を尊敬して従う人が多く、彼を害することは国の亡びを催促することだと言う人までいました。だから鄭夢周を殺した時に受ける非難と反発を予想していた太祖は、どうしても彼を説得して味方にしようと思っていたのです。彼の死を知った太祖は息子に激怒しましたが、最後は名分のため反逆の罪があったよう公表し、死体を梟首しました。

開国に反対した罪で朝鮮初期は正しく評価されなかったですが、儒教敵忠孝を強調すた世宗(세종/セジョン)から彼を高く評価し直すことになり、歴史書には次のよう書きました。

「節を守り管理として優れ人柄が淳厚し、誠実である。」

同じ師匠のしたで修学した同門、友達、そして大人になってからは政治的ライバルだった鄭道伝は鄭夢周を「도덕의 으뜸(道徳の一番)」だと高く評価していました。

後で朝鮮の王は死んだ鄭夢周へ官職を与えましたが、死として高麗に忠誠した先祖に朝鮮の官職とはありえないと思い、子孫は彼の墓石に朝鮮の官職名を刻まなかったです。
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思悼世子(사도세자/サドセジャ)

ユ・アイン(유아인)とソン・ガンホ(송강호/宋康昊)が出演した「映画思悼(사도/サド)」では俳優ユ・アインが思悼世子を、ソン・ガンホが父の英祖(영조)王を演じました。(2015年韓国上映)
ユ・アイン(유아인)とソン・ガンホ(송강호/宋康昊)が出演した「映画思悼(사도/サド)」では俳優ユ・アインが思悼世子を、ソン・ガンホが父の英祖(영조)王を演じました。(2015年韓国上映)
韓国のMBCで放送したドラマ「群主(군주/クンジュ)」ではユ・スンホ(유승호/俞承豪)が思悼世子の役をしました。(2017年韓国放送)
韓国のMBCで放送したドラマ「群主(군주/クンジュ)」ではユ・スンホ(유승호/俞承豪)が思悼世子の役をしました。(2017年韓国放送)
名前は李愃(이선)で思悼世子(사도세자/サドセジャ)または荘献世子(장헌세자/チャンホンセジャ)と呼ばれています。韓国人は普通思悼世子(사도세자/サドセジャ)として覚えています。英祖(영조)の次男、正祖(정조)の父ですが、王にはなれなかった悲劇の男です。

英祖の長男が死んでから7年後、次男の思悼世子が生まれました。英祖は息子を大事にしながらも、王子に対しての高い期待値を持ちとても厳しい態度を見せました。母の身分が低かった英祖はもともと王の継承者ではなかったので、宮の外で生活しました。庶民の中で生活しながら、慎重で努力する姿勢を身に着けた英祖は、息子も同じ姿勢で頑張るよう要求しました。しかしそんな父の期待は息子の負担になり、成長しながら学問より武芸に興味を持つようになったことは、もっとも父の反感を買うことになりました。結局優れ過ぎた父の息子に生まれたことが原因で心の病気まで持つようになった思悼世子は人を殺したり、暴行するなど異常行動をするようになりました。耐えれなかった父の英祖は思悼世子を米櫃の中に閉じこめ、思悼世子は8日後に飢死しました。ドラマの中で思悼世子の息子の正祖が泣きながら父を生かすように祖父にお願いする場面はいつも視聴者を泣かしています。

思悼世子が精神病を持つようになったきっかけを中心に書きましたが、実は彼の死の裏にはもう一つの理由があります。政治的に思悼世子が王座に座ることを望まなかった老論派(朝鮮時代の政治派の1つ)が英祖に思悼世子のことを悪く告げ続けたのです。そういうことで思悼世子の死は闘争が生み出した悲劇だとも言われています。

鄭道伝(정도전/チョン・ドジョン)

KBSドラマ鄭道伝ではチョ・ジェヒョン(조재현/曺在鉉)が鄭道伝を演じました。
KBSドラマ鄭道伝ではチョ・ジェヒョン(조재현/曺在鉉)が鄭道伝を演じました。
高麗末期から朝鮮初期まで活動した政治家、道学者、革命家で字は宗之(종지/チョンジ)、号は三峰(삼봉/サンボン)です。

高い学食を持っていた彼は高麗の成均館(성균관/ソンギュングァン)で教官として儒学陸生に尽くしていましたが、彼を信頼していた王が死んだ後、政治的に反対派だった側が権力を持つことになりました。

急進改革派の盟主だった彼は、政争により流刑されてしまいました。この時期、彼は身近なとこで百姓の生活を目撃しながら、大きな影響を受けました。そして流刑地で王ではなく国民を中心になる彼の民本思想が始まり、朝鮮を立てようと決心したきっかけでした。

鄭道伝は腐敗した官僚から百姓を救える方法は革命しかないと思い、当時侵略してきた外敵をすべて討伐し高麗の英雄になっていた太祖(태조)・李成桂(이성계)を誘い、太祖・李成桂の参謀として活躍しました。その結果高麗は滅び、新しい国、朝鮮の時代が始まりました。

鄭道伝は本人の計画で朝鮮を建設した主張していました。彼の主張は太宗(태종)・李芳遠(이방원)の耳に入り、太宗と他の王子たちから反発を買いました。鄭道伝は世襲政治の問題点を指摘し、世襲政治により愚かな人が王の座に座ることだけは止めなきゃならないと主張しました。そしてまだ幼なかったが聡明な王子・李芳碩(이방석/イ・バンソク)を教育し、宰相が中心になる王道政治(宰相政治)を計画しましたが、權坐を失うことを恐れた太宗・李芳遠が鄭道伝と弟の李芳碩を殺害しました。
SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ミョンミン(김명민/金明民)が鄭道伝を演じました。(2015年韓国放送)
SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ミョンミン(김명민/金明民)が鄭道伝を演じました。(2015年韓国放送)
鄭道伝が建設した景福宮(경복궁/キョンボックン)(景福宮(경복궁/キョンボックン)/キョンボックン)の正門、光化門(광화문/クァンファムン)(光化門(광화문/クァンファムン)/クァンファムン)です。
鄭道伝が建設した景福宮(경복궁/キョンボックン)(景福宮(경복궁/キョンボックン)/キョンボックン)の正門、光化門(광화문/クァンファムン)(光化門(광화문/クァンファムン)/クァンファムン)です。
朝鮮建立後、朝鮮の統治規範を提示している「朝鮮経国典」を執筆しました。「朝鮮経国典」は後で作られた朝鮮最高法典「経国大典」の根幹になります。首都を移転し、景福宮(경복궁/キョンボックン)(景福宮(경복궁/キョンボックン)/キョンボックン)の設計・建設を計画して指揮したのも鄭道伝です。

鄭夢周(정몽주/チョン・モンジュ)

KBSドラマ「鄭道伝」ではイム・ホ(임호/林湖)が鄭夢周を演じました。
KBSドラマ「鄭道伝」ではイム・ホ(임호/林湖)が鄭夢周を演じました。
 SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ウイソン(김義城(의성/ウィソン))が鄭夢周を演じました。
 SBSドラマ「六龍が飛ぶ(육룡이 나르샤)」ではキム・ウイソン(김義城(의성/ウィソン))が鄭夢周を演じました。
高麗末期から朝鮮初期まで活動した学者、政治家です。学問、外交、経済、軍事、政治の幅広い分野で活動した上、みんなから尊敬される人品を持っていました。学者として知られていますが、外敵の討伐にも活躍した文武両道の人です。

彼は文臣としても武臣として多い業績を残しましたが、彼を一言で表現する「高麗最高の忠臣」です。

太祖・李成桂が朝鮮の開国を計画し、ともに新しい国を建てようと鄭夢周を誘うよう太宗・李芳遠に命じました。その時に太宗「何如歌(하여가)」という詩で鄭夢周を誘い、鄭夢周は「丹心歌(단심가)」という詩で断りました。この2つの詩は韓国人にはとても有名で、学校で習い、試験にも頻繁に出てきます。

その後、鄭夢周が朝鮮開国に賛同しないことが分かった息子の太宗により善竹橋(선죽교/ソンジュクギョ)の上で殺されました。(善竹橋はまだ北朝鮮に残っています) 彼は高麗を裏切らず、死を選んだのです。

鄭夢周は単純な高麗の宰相ではなく、人徳と評判がとても高かった人物でした。太祖の側の人にも鄭道伝を尊敬して従う人が多く、彼を害することは国の亡びを催促することだと言う人までいました。だから鄭夢周を殺した時に受ける非難と反発を予想していた太祖は、どうしても彼を説得して味方にしようと思っていたのです。彼の死を知った太祖は息子に激怒しましたが、最後は名分のため反逆の罪があったよう公表し、死体を梟首しました。

開国に反対した罪で朝鮮初期は正しく評価されなかったですが、儒教敵忠孝を強調すた世宗(세종/セジョン)から彼を高く評価し直すことになり、歴史書には次のよう書きました。

「節を守り管理として優れ人柄が淳厚し、誠実である。」

同じ師匠のしたで修学した同門、友達、そして大人になってからは政治的ライバルだった鄭道伝は鄭夢周を「도덕의 으뜸(道徳の一番)」だと高く評価していました。

後で朝鮮の王は死んだ鄭夢周へ官職を与えましたが、死として高麗に忠誠した先祖に朝鮮の官職とはありえないと思い、子孫は彼の墓石に朝鮮の官職名を刻まなかったです。
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